「ある日突然、片方の目の見え方がおかしくなった」
「視界の一部が暗く、かすんで見える」
「物が歪んで見えるようになった」
このような症状に、心当たりはありませんか? もし、急にこのような視力の変化を感じたなら、それは「網膜静脈閉塞症」という目の病気のサインかもしれません。
網膜静脈閉塞症は、痛みなどの自覚症状がないまま進行し、放置すると深刻な視力障害につながる可能性のある、決して軽視できない疾患です。しかし、早期に発見し、適切な治療を受けることで、視力の維持・改善が期待できます。
この記事では、「網膜静脈閉塞症」と診断された方、あるいはご自身の症状からこの病気を疑っている方に向けて、以下の内容を網羅的に、そして分かりやすく解説していきます。
- 網膜静脈閉塞症とは、一体どのような病気なのか?
- なぜ、網膜の血管が詰まってしまうのか?(原因とリスク)
- 見逃してはいけない、具体的な症状とは?
- 眼科ではどのような検査を行うのか?
- 視力を守るための最新の治療法
- 治療後の見通しと日常生活での注意点
この記事を最後までお読みいただくことで、網膜静脈閉塞症への理解が深まり、ご自身の目と向き合い、適切な次の一歩を踏み出すきっかけとなれば幸いです。
網膜静脈閉塞症とは?- 目の奥で起こる「血管の詰まり」
まずは、「網膜静脈閉塞症」がどのような病気なのか、基本的なところから見ていきましょう。
網膜の役割と血管の重要性
私たちの目の奥には、「網膜」という光を感じるための、非常に薄い神経の膜があります。カメラに例えるなら「フィルム」や「イメージセンサー」に相当する重要な部分です。私たちが物を見ることができるのは、この網膜が光の情報をキャッチし、脳に送っているおかげです。
網膜が正常に働くためには、たくさんの栄養と酸素が必要です。その供給を担っているのが、網膜に張り巡らされた血管(動脈と静脈)です。動脈が栄養を運び、静脈が老廃物を運び去ることで、網膜の健康は保たれています。
静脈が詰まると、何が起こるのか?
網膜静脈閉塞症は、この網膜の「静脈」が何らかの原因で詰まってしまい、血液の流れが滞ってしまう病気です。
水道の排水管が詰まるのをイメージしていただくと分かりやすいかもしれません。血液の流れが堰き止められると、行き場を失った血液の水分が血管から漏れ出したり、血管が破れて出血したりします。
この血液の漏れや出血が網膜で起こると、次のような問題が生じます。
- 網膜のむくみ(黄斑浮腫): 特に、視力に最も重要な中心部分である「黄斑(おうはん)」がむくんでしまう(黄斑浮腫)と、急激な視力低下や、物が歪んで見える「変視症」を引き起こします。これが、網膜静脈閉塞症で視力が低下する最大の原因です。
- 網膜の出血(眼底出血): 出血が網膜に広がると、その部分の視野が暗く見えたり、かすんだりします。
- 網膜の酸欠: 血流が滞ることで網膜に十分な酸素が届かなくなり、網膜の機能が低下します。
この病気は、中高年以降の方に多く見られ、特に50歳以上で発症リスクが高まると言われています。
網膜静脈閉塞症の2つのタイプ
網膜静脈閉塞症は、静脈が詰まる場所によって、大きく2つのタイプに分けられます。症状の現れ方や重症度が異なるため、どちらのタイプかを知ることは非常に重要です。
① 網膜中心静脈閉塞症(CRVO: Central Retinal Vein Occlusion)
網膜の静脈がすべて集まる、根元の最も太い部分(網膜中心静脈)が詰まるタイプです。根元が詰まるため、網膜全体に影響が及び、症状も重く出やすいのが特徴です。
- 症状: 視界全体がかすみ、急激に著しい視力低下をきたすことが多いです。
- 特徴: 網膜全体に出血やむくみ(浮腫)が広がります。
② 網膜静脈分枝閉塞症(BRVO: Branch Retinal Vein Occlusion)
網膜中心静脈から枝分かれした、細い静脈(分枝)が詰まるタイプです。網膜静脈閉塞症の多くはこちらのタイプです。
- 症状: 詰まった血管が担当している領域だけに限局した症状が現れます。そのため、視野の一部が欠ける、暗く見えるといった症状が多く、視力の中心である黄斑部に関わらない詰まり方であれば、視力が低下せず、自覚症状がないまま経過することもあります。
- 特徴: 出血や浮腫は、網膜の一部に限られます。しかし、黄斑部を巻き込む形で発症すると、CRVOと同様に著しい視力低下をきたします。
なぜ起こるのか? – 主な原因と危険因子(リスクファクター)
では、なぜ網膜の静脈は詰まってしまうのでしょうか。最も大きな原因は「動脈硬化」とされています。
網膜では、動脈と静脈がところどころで交差しています。動脈硬化が起こると、動脈の壁が硬く、厚くなります。硬くなった動脈が、すぐそばを走る柔らかい静脈を上から圧迫することで、静脈の流れが堰き止められ、血の塊(血栓)ができて詰まってしまうのです。
そして、この動脈硬化を引き起こす、あるいは悪化させる要因(リスクファクター)として、以下の生活習慣病などが深く関わっていることが分かっています。
- 高血圧: 最大のリスクファクターです。血圧が高い状態が続くと、血管に常に強い圧力がかかり、動脈硬化が進行しやすくなります。網膜静脈閉塞症の患者さんの半数以上に高血圧が見られると言われています。
- 糖尿病: 高血糖の状態は血管を傷つけ、動脈硬化を促進します。また、血液がドロドロになりやすくなるため、血栓もできやすくなります。
- 脂質異常症(高コレステロール血症など): 血液中の悪玉コレステロールなどが増えると、血管の壁にプラークがたまり、動脈硬化が進みます。
- 加齢: 年齢とともに血管は弾力性を失い、硬くなる傾向があります。
- 喫煙: 喫煙は血管を収縮させ、動脈硬化を著しく促進する有害な習慣です。
- その他: 緑内障や、血液疾患などもリスクを高めることがあります。
つまり、網膜静脈閉塞症は「目だけの病気」ではなく、高血圧や糖尿病といった「全身の血管の状態を反映する病気」であると理解することが非常に重要です。
これってサインかも? – 見逃してはいけない症状リスト
網膜静脈閉塞症の症状は、詰まった場所や程度によって様々ですが、以下のような症状が片方の目に突然現れた場合は注意が必要です。
- 急な視力低下: 最も多い自覚症状です。物がぼやけて見えたり、視力が急に落ちたりします。
- 視野が欠ける・暗くなる: 視界の一部がカーテンで覆われたように暗く感じます。
- かすみ目(霧視): 視界全体に霧がかかったように、白くかすんで見えます。
- 変視症: 直線が波打って見えたり、物が歪んで見えたりします。これは、視力の中心である黄斑がむくんでいる(黄斑浮腫)サインです。
重要なのは、これらの症状は痛みや充血を伴わないことがほとんどであるという点です。「少し疲れているだけかな」「そのうち治るだろう」と自己判断で放置してしまうと、治療のタイミングを逃し、深刻な後遺症を残すことになりかねません。
放置すると危険な合併症
適切な治療を行わずにいると、さらに重篤な合併症を引き起こすことがあります。
- 血管新生緑内障: 網膜が酸欠状態になると、それを補おうとして異常な血管(新生血管)が目の前方(虹彩や隅角)に生えてくることがあります。この新生血管が、目の中の水の出口を塞いでしまうことで眼圧が急上昇し、激しい目の痛みや頭痛、吐き気を伴う「血管新生緑緑内障」という非常に治療が難しいタイプの緑内障を発症することがあります。失明に至る可能性も高い、大変危険な状態です。
- 硝子体出血: 新生血管は非常にもろく、破れやすいため、目の内部(硝子体)で大出血を起こすことがあります。すると、急に視界に墨が流れたように見えたり、視力が著しく低下したりします。
これらの合併症を防ぐためにも、早期発見・早期治療が何よりも大切なのです。
眼科で行われる検査と診断
「もしかしたら…」と思ったら、ためらわずに眼科を受診しましょう。眼科では、以下のような検査を行って、網膜の状態を詳しく調べ、正確な診断を下します。
- 視力検査・眼圧検査: 目の基本的な状態を調べます。
- 眼底検査: 点眼薬で瞳孔を開き(散瞳)、検眼鏡や眼底カメラを使って、網膜の状態(出血や浮腫の有無、範囲)を直接観察する、最も重要な検査です。この検査で、網膜静脈閉塞症の診断がほぼ確定します。
- 光干渉断層計(OCT)検査: 赤外線を利用して、網膜の断面を撮影する検査です。視力低下の主な原因である黄斑のむくみ(黄斑浮腫)の程度や、網膜の構造の変化を、立体的かつ詳細に把握することができます。治療効果の判定にも欠かせない検査です。
- 蛍光眼底造影検査: 腕の血管から造影剤を注射し、眼底カメラで網膜の血流状態を連続撮影する検査です。血管が詰まっている場所や血液が漏れている場所、血流が途絶えている範囲(虚血領域)などを正確に評価することができます。治療方針を決める上で非常に重要な情報が得られます。
これらの検査は、いずれも痛みを感じるものではありません(造影検査の注射を除く)。安心して検査を受けてください。
どうやって治す? – 網膜静脈閉塞症の最新治療法
かつては有効な治療法が限られていましたが、近年、医学の進歩により治療法が大きく変わりました。現在の治療の主な目的は、視力低下の最大の原因である「黄斑浮腫」を改善・軽減させ、視機能を維持・回復させること、そして合併症の発症を予防することです。
治療法は、患者さんの病状やタイプに合わせて選択されます。
① 抗VEGF療法(硝子体内注射)
現在、黄斑浮腫を伴う網膜静脈閉塞症治療の第一選択(主流)となっているのが、この抗VEGF療法です。
網膜の血流が悪くなると、「血管内皮増殖因子(VEGF)」という物質が過剰に産生されます。このVEGFは、血管から血液の成分を漏れやすくさせ(血管透過性の亢進)、黄斑浮腫を悪化させる元凶です。また、異常な新生血管の発生も促してしまいます。
抗VEGF療法は、このVEGFの働きを直接抑える薬剤(抗VEGF薬)を目の中(硝子体)に注射する治療法です。
- 効果: 黄斑浮腫を強力に抑制し、むくみを軽減・消失させることで、視力の改善が期待できます。
- 治療: 注射は点眼麻酔で行うため、痛みはほとんどありません。治療は、まず毎月1回、連続で注射を行い、その後は患者さんの網膜の状態を見ながら、注射の間隔を調整していきます。定期的な通院と検査が必要です。
② レーザー光凝固術
レーザーを用いて網膜を凝固させる治療法です。目的によって2つの方法があります。
- 網膜光凝固: 血流が途絶えて酸素不足に陥っている領域(虚血領域)をレーザーで凝固する治療です。虚血領域からは、新生血管を生み出すVEGFが産生されるため、あらかじめこの領域を凝固しておくことで、新生血管の発生を防ぎ、血管新生緑内障などの重篤な合併症を予防する目的で行われます。
- 格子状光凝固: 黄斑浮腫に対して行われることがありますが、視力が大きく改善する効果は限定的で、現在は抗VEGF療法が主流となっています。
③ ステロイド療法(テノン嚢下注射・硝子体内注射)
ステロイド薬には強力な抗炎症作用があり、黄斑浮腫を軽減させる効果があります。抗VEGF療法で効果が不十分な場合や、他の理由で抗VEGF薬が使えない場合に選択されることがあります。目の奥に注射する方法(テノン嚢下注射)や、目の中に薬剤を留置するインプラント(硝子体内注射)があります。ただし、眼圧が上昇する(ステロイド緑内障)や白内障の進行といった副作用のリスクがあります。
④ 硝子体手術
硝子体出血によって視界が著しく遮られている場合や、黄斑浮腫が他の治療で改善しない場合に、目の中の硝子体を取り除く「硝子体手術」が行われることがあります。
これらの治療と並行して、原因となっている高血圧や糖尿病、脂質異常症などの内科的な管理が極めて重要であることは言うまでもありません。眼科と内科が連携して治療を進めていくことが、再発を防ぎ、長期的に目の健康を守る上で不可欠です。
治療後の見通しと日常生活での注意点
気になるのは、治療後の視力がどこまで回復するのか、という点だと思います。これは、発症時の状態や治療開始までの期間、黄斑部のダメージの程度などによって個人差が大きいのが正直なところです。
しかし、間違いなく言えるのは、発症してから治療を開始するまでの時間が短ければ短いほど、視力が回復する可能性は高まるということです。特に、抗VEGF療法の登場により、早期に治療を開始すれば、以前よりも良好な視力予後が期待できるようになりました。
一度発症すると、残念ながら再発のリスクはゼロではありません。また、反対側の目に発症する可能性もあります。そのため、治療が終わった後も、医師の指示に従って定期的に検診を受け、網膜の状態をチェックし続けることが非常に重要です。
日常生活では、以下の点を心がけましょう。
- 血圧・血糖のコントロール: 内科の主治医の指示に従い、処方された薬をきちんと服用し、血圧や血糖値を良好な状態に保ちましょう。
- バランスの取れた食事: 塩分や脂肪分を控えめにし、野菜を多く摂るなど、食生活を見直しましょう。
- 適度な運動: ウォーキングなどの有酸素運動は、血行を促進し、生活習慣病の改善に役立ちます。
- 禁煙: 喫煙は百害あって一利なしです。目のためにも、全身の健康のためにも、禁煙を強くお勧めします。
まとめ:気になる症状があれば、ためらわずに眼科へ
網膜静脈閉塞症は、突然あなたを襲う、視力を脅かす病気です。しかし、その背景には、高血圧や糖尿病といった、日々の生活習慣が大きく関わっています。
この記事を通して、網膜静脈閉塞症という病気の全体像をご理解いただけたでしょうか。
- 突然の視力低下、かすみ、視野の異常は、網膜静脈閉塞症のサインかもしれない。
- 原因は動脈硬化で、高血圧や糖尿病などの生活習慣病と深く関連している。
- 視力低下の主な原因は「黄斑浮腫」であり、現在は「抗VEGF療法」という効果的な治療法がある。
- 放置すると、血管新生緑内障などの深刻な合併症を引き起こす危険がある。
最も大切なメッセージは、「おかしいな?」と感じたら、決して自己判断で様子を見たりせず、できるだけ早く専門医である眼科を受診してください、ということです。
早期発見・早期治療が、あなたの視力を守るための最大の鍵です。この記事が、あなたの不安を少しでも和らげ、勇気を出して眼科の扉を叩く一助となることを心から願っています。